日本管区創立80周年の一年の始まりミサ

 今年2015年、わたしたち援助修道会は日本管区創立80周年を迎えます。会の創立記念日である今日1月19日を始まりとして、1年間を通して、80年の歴史を思い起こし読み直すこと、会のカリスマとイグナチオの霊性を深めること、援助会家族の深い連帯と派遣を探求していくことへと招かれています。
 今から159年前の1856年1月19日、創立者ウージェニー・スメットは故郷リールを出発し、初めてパリへやって来ました。修道生活を望み、既に共同生活を始めていた女性たちが「とうとう、私たちは母をいただいたのです」と喜ぶ一方で、ウージェニーは意気消沈し、一瞬、もう立ち上がることも出来ないと思ったほどだった、それはまるで逃げようとして出口を捜している小鳥のようだったと、伝えられています。しかし、彼女が、彼女を取り囲む困難から逃げ出すことはありませんでした。故郷リールに帰りたいと思いながらも、魂の奥底の神の恵みに突き動かされるままに、翌日から勝利の聖母教会でノヴェナを始め、度々考えの異なるラルジャンティエ師との対話を続け、パリの大司教シブール師との面会など必要な手段をとっていきました。それから、79年経った1935年、日本の地に援助修道会が誕生しました。今年80周年ということは、生まれるまでに79年、生まれてから79年。つまり、会の創立から日本管区誕生までに刻まれてきた年月とちょうど同じだけの年月を、日本管区も既に歩んできたことになります。
 「歴史、それはときの流れにそって刻まれていく一つの歩みであり、ときには屈折し、ときには凹凸をもちながらも続いていく道である」日本管区の歩みを記した緑の冊子は、この一節で書き始められています。1935年3月6日にフランスのマルセイユを出発し、一路「日出づる国」東洋に向かった創立メンバーは、4名でした。メール・サン・エルネスト(40歳)、マール・マリ・ド・サン・レネルド(35歳)、メール・マリ・ベルクマンス(31歳)、スール・アレクサンダー(30歳)。途中上海に立ち寄り、上海から第一陣として日本に向かったのは、メール・サン・エルネスト、スール・アレクサンダー、日本人第三会員スール・フランシスカ若林でした。4月25日に神戸に到着し、26日汽車に乗り広島へ、そして27日に、三篠修道院が祝別されて初めてのミサがささげられました。それは、上海の聖母院から送られた写真をもとにして広島で作られた木製の美しい祭壇を囲んで、まことに感動的なミサであったと伝えられています。