2009-01-01から1年間の記事一覧

ありがとうね

クリスマスも間近の日、共同体とその周辺の建物の、分担区域を掃除していました。1週間ほど前から風邪をひいていて治りきらず、24日の晩も1人で留守番かな、と、焦るような、取り残されたような気持ちでした。 気がつくとドアが半開きになって、ある姉妹が顔…

この季節に・・・・

昨日は冬至で昼が一番短く夜が長い日でした。 ゆず湯を浴びてかぼちゃを頂く習慣が日本にあります。 風邪の予防及び肌を乾燥から防ぐ等冬の厳しさに対応する生活の知恵でしょう。修道院の庭に一本のゆずの木があり、今年は豊作で沢山の実をつけました。シス…

サンシャン島から江戸へ

私が最初に出会った宣教師は、幼稚園の先生でした。 庭の砂埃を吸い込みながら一緒に夢中で遊びました。大分後になってから知ったことですが、中国の共産政権の台頭によって国外退去を余儀なくされ、以後日本にとどまったということです。今は天国におられま…

おついたち。諸聖人の祭日

「きょうはおついたちだから」という言葉を、家族、特に亡き祖母の口から何度も聞いた、その響きを思い出します。だからといって特別なおやつをもらった訳でもないのですが、田舎育ちの祖母が「お」を付けて呼ぶことに、何か特別さを感じていました。 友人や…

ガンジーとフランシスコ、イグナチオ

おととい10月2日は、マハトマ・ガンジーの誕生日に因んで、2007年の国連総会から国際非暴力の日と定められたそうです。だいぶ前に観た、アッテンボロー監督の映画;『ガンジー』の中の、インドの人々が隊列を組んでイギリス政府軍に片端から暴行を受けて倒れ…

中秋の名月

明日は満月、今晩はちょっと欠けた中秋の名月です。 姉妹が届けてくれたお団子で今夜は月見といたしましょう。 折から今日はコミニテイーの一人の姉妹のお誕生日、それに加えて2人の姉妹の古稀のお祝いです。 楽しくお祝いの夕食を終え、食後皆で庭に出まし…

叙階式

昨日イエズス会の叙階式に参加する恵みを得ました。 大聖堂が満員になるほど、沢山の方がたが新司祭の誕生に立会い、証人となり、そして祈りました。叙階の恵みは秘蹟であり、その秘蹟に参加する私にも大きな恵みをいただいたような気がしています。今回の新…

頭を垂れる黄金

帰省してきました。一面緑、稲穂が出始めてわずかに黄緑になりつつある水田地帯を久しぶりに見ました。さる7月頃父と電話で話した時、今年の夏は日照時間が短いから、稲の収穫に影響が出るのではないかと言う話を聞いていましたので、例年より遅れ気味ではあ…

剣岳 点の記

新田次郎の小説「剣岳 点の記」が映画化されました。カメラマンの木村大作氏の初めての監督としての作品です。 さすがカメラマンの作品、立山連峰の大自然の美しさと厳しさが迫力を帯びてスクリーンに映し出されます。 物語は日露戦争後の1906年頃の日本…

マルタのミサ

イエスが今日ラザロの家に寄られる。イエスが「ホッ」となさる家。立ち働いていて、イエスの姿が視界に入らなくても、日頃はイエスの声に耳を傾けることも普通にしているマルタに違いない。そして姉妹マリアに直接、「ちょっと手伝ってくれない?」と頼めて…

”み摂理の摂理になる”という喜び

わたしの修道会の創立者「み摂理の マリア」 は神の摂理(=創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配 慮)に特別の信頼を寄せ、摂理と契約を結んでいた。「ウージェ ニー・スメットー福者み摂理のマリアー」の著者、テレーズ・ガルディードゥ・…

室内楽

今日は、Sさんの室内楽シリーズⅩを聞きました。ドボルザークピアノ五重奏曲イ長調作品81とブラームスピアノ五重奏曲へ短調作品34の2大曲です。同じ五重奏でありながら曲想も響きも大きく異なる二人の趣を味わい楽しみました。 このアンサンブルは、S…

キャンドルナイト

6月20日から100万人のキャンドルナイトというムーブメントが始まりますね。 去年、私は関西の小さな4人のコミュニティで暮らしていましたから、みんなでこじんまりと電気を消して、ろうそくの火で祈って、ごはんを食べたりしました。 今年、本部修道…

海辺にて

今年のお正月、天草方面に行く機会がありました。 昨年の11月に長崎で福者に上げられたペトロ岐部と187殉教者の内の1人、荒川アダムの殉教の場所と聞き、車で海岸線のほとんどを走っていただくことができました。海をすぐ下に見下ろす富岡城跡への、小高い丘…

母なる地球

先週の日曜日、自然環境保護のお話を伺う機会がありました。「神様の創造のみわざである地球をせっせと破壊しながら、どうして私達は、その造り主である神様を愛しているなどといえるでしょうか。 もし誰かを愛しているなら、その人が創られたもの、その人が…

一日巡礼

新緑に目も心も潤されるこの季節になると、第3修練中に参加したシャルトル巡礼を思い出します。ボース平野は満開の菜の花と青々した麦畑が広がっていました。この大自然に自ずと皆が心を開きます。所々に人知れず咲く野の花に心を寄せる注意深さも歩く者の…

誰と話して?

次の用事の時刻までに時間が空いてしまい、とある教会の小聖堂に入った。平日の教会、それも小聖堂とあってか、静かだ。 程なくして、誰かが入ってきた気配がし、ひそひそと声が聞こえ、それがなかなか終わらない。いったい誰と話しているの?正直のところ、…

2月のはじめに

少しぬくもりのある朝、 庭の大根を抜きに行った時のこと。 “ほとけのざ”の葉のかげから、一匹の蝶が飛びだしました。 よくみると、蛹から出てきたばかりのようで、 初々しく黄色の翅がたとえようもなく美しかった。 蝶は、土の上に横たわっていた。 春はま…

主は復活された!

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。ヨハネ福音書20章19節 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパ…

本当に、神の子

『あなたが神様になっているでしょう?』 「そんなはずありません。私、洗礼も受けて、神様のために...」『それならどうして、そんなに自分を責めて、人に厳しいの? 自分で裁いて、勝手に死刑執行しているでしょ。神様なんてあなたにとっては邪魔。あなたは…

それもひとつの

「ほら、ご存知のように、今年多くの大中小企業で、大幅な人員削減が予想されてますでしょ? ですから、あなたアルバイトみたいなもんじゃありませんか、4月からの契約は、なしってことで...」実際本当に肩をトントンと叩かれて、「ちょっと話が」と呼ばれて…

一緒にいるということ

今日、シスターあかねの追悼ミサと偲ぶ会があって あれから50日が過ぎたんだって分かった 北海道からYOUちゃんが来てくださって、わぁ、久し振り 「シスター、ブログ書いてないね、あたしもだよ」 「なんにも、書けない」 それで今日は書いてみようと思う …

もしかして

外出から帰ってドアを開けると、 玄関向かって左でみせつりのマリア像がいつも蛇を踏みつけて立って祈っています。 ただいま、と言ってふとその背後のステンドガラスの向こうの聖堂内のオルガンを見ると、そこに誰かがいるような気がしました。もしかして、…

ルルドふたたび

もう寒くなって、人影まばらの10月末のルルドの洞窟を思い出しています。岩の一部がくり抜かれていて、勢いよく水が堰を切ったように流れているのが見え、洞窟の下は川ではないかと思われました。その澄んだ水の、澱むことのない流れも、150年程前、 泥のぬ…

招き

1858年1月25日にみせつりのマリアは終生誓願を立てた。同じ年の翌月の2月11日、恵まれない少女ベルナデッタに聖母マリアは初めてご出現になった。みせつりのマリアとベルナデッタは、フランスの中で、場所こそ違え、同じ暦を分かち合っていた。この世では面…

星に導かれて

「道、真理、命の主よ あなたを求めて今旅に出る 星に導かれて、共に主を 礼拝するために」この冬、今属している共同体で、たびたび歌った歌です。アフリカ・チャドのSr.二條のことを思い出させる歌でもありました。彼女が、今年は、荷物を降ろして、一粒の…

突然、神に召されたSr.二條あかねとノベナ

ご存知の方も多いと思うが、私たちの仲間であるSr.二條あかねがチャドのミッショネールとして2月2日、36歳の生涯をとじ、彼女自身を神とチャド人に全存在を捧げた。この出来事がわたしたちの創立者・ウージェニー・スメットの記念日前、9日間の祈り(ノベナ…

夕べにシスター二條あかねと共に祈る

2日にチャドで急逝したあかねさんと共に祈る思いで私たちは市谷の聖堂に集まりました。 彼女の死は旧約のエリヤ(列王下2/11)のように急に私たちの前から天に昇っていったような実感を覚えるものです。 1ヵ月前にあかねさんは、フランス管区のシスターた…

ともし火

1月から2月へ。私にとってその移り変りはたびたび、たやすくなかった。雪の降る1月下旬、膝を捻って、半月板損傷をしたことがあった。膝に血が溜まり、階段を昇り降りすることも、湯船に入ることもできないまま2月を迎えたのを思い出す。ベッドに足を投げ出…

梅の花

毎年、毎年、 裏のお庭に梅の花がやって来る! やっぱり、咲いた、というよりも、 来たねって感じがする。 晴佐久神父さんの詩には、 ようこそ、梅の花 という一節があって、これがとっても的を得ていると思うんだな。 思わず、「いらっしゃい、よく来たね!…