殉教者つれづれ
今年列福される殉教者方についてのプレゼンテーションを作った。作ったというと語弊がある。実は教区内に、殉教者についての膨大な資料を整理し、まとめてくださった方々があり、そのプレゼンテーションをわたしなりにアレンジし、わたしなりの問いかけを付け加えた、のだから。
その作業を通して、ますます強くなった思いは、殉教とは死ではなく、生そのものであるということ。とかく、どのように亡くなったかが語られがちだが、それは実はその人がどう生きたか、なのだ。
信徒が、自らの力で信仰を継承し、洗礼を授け、共に祈り、貧しい人々の世話をし、そして神を賛美しながら命をささげていった。殉教録の行間にあるはずの、聖霊の大胆かつ壮大な働きを読み取るなら、それは必ずやわたしたちのうちにおられる神の霊をも息吹かせ、燃え立たせるに違いない。
時と場所によっては、プレゼン出前受け付けます。なんて。
山本きくよ