Jury Duty

 

 昨日、アメリカ管区のシスターからメールをもらった。以前わたしが住んでいた共同体の人だ。
「あなた宛に、陪審員としての召喚状が来たよ。」

 えっっ?ビックリ!2年ほど前まで約3年間シカゴに住み、ソーシャルセキュリティを持っていた、というだけのわたしなのだが、そんなステイタスの人間にも、陪審員の召喚状が来るなんて、信じがたい。少なくとも、日本ではありえないだろう、と思う。


 でもこれが米国のもつ懐の深さというのかしら?
「多様性を生きるためには、いくつかのルールがあり、それだけは大切にしないとならないのよ」と言っていたシスターのことが思い出される。自分が自由であるためには、人の自由も徹底的に尊重しなければならない。とかく、人のことにあれこれと口を出したがる我々日本人が、一度立ち止まって考えてみるといいテーマだけれど、日本の中にいる時にはその違いが分かりにくいものなんですよね、これが。


山本きくよ