9条世界会議

http://whynot9.jp/
9条世界会議の分科会に行って来た。
なにしろそれまでの準備とか、勉強とか、行進とか、なんにもしないまま、とにかく「参加しなきゃ」みたいな感覚なので、この会議の重要さがどれだけスゴイことなのか、分かっているかどうかはわからない。
でも、それこそ、とにかく、行っておきたかった、というのが正直なところ・・・この日のために・・・と、さまざまな側面から準備した姉妹たちの祈りと願いもある。わたしにできたことは今日の半日この草の根の動きを実感したということだった。


シンポジウム2「アジアの中の9条」


アジアで9条が受容されるということが何を意味しているのか。パネリストはもちろん9条が受容される意義を主張される人たちばかり。
歴史的にはどのあたりから話されるのだろう?と思っていたが、なるほど戦前の大東亜共栄圏にさかのぼってのアジアの安全保障ということだった。そのあと、戦後の憲法公布から゛日米゛安全保障、そして現在では、沖縄からグアムへの海兵隊移転問題に至る。政治的に言えば9条を取り巻く議論は、アメリカ抜きには考えられない。
こういう政治的な歴史の線というのが一本あるのだが、しかし、今回分かったことは、アジアの土地に住まうそれぞれのアジアの国民が゛平和を希求する゛という思い(願い)の歴史の線をちゃんと構築してきた、だから、このようなシンポジウムも開けるくらいの「歴史」を重ねてきたわけだし、それがここに実現している、ということである。
アジアの哲学者や識者たちが、アジアの伝統を保守しながら、しかもキリスト教的精神(ある意味で西洋を象徴する)にならい、人間の尊厳(人権)のための戦争放棄を訴える。
9条を守るということは戦争をやめるという決意だ。
日本だけの問題じゃなくて世界中で注目されているというわけだ。
草の根、ネグリの言う「マルチチュード」、底知れないものがある。


Keiko.H