徒然なるままに  ”忠実さ”


今日のミサの福音朗読の箇所はマルコ10・1-12、離縁についての教えである。ミサの中で神父さまはこの個所から「忠実さ」について話された。


近頃は忠実であるということが”古い”と思う人もあるようだ。わたしはそう思わない。神と人、人と人との関係の中で忠実であるということはお互いを束縛していくものではなく、お互いの関わりを深いもの、豊かなものにしていく。イエスは忠実な人を神から祝された人としてたとえておられる(マタイ25・21,23)。忠実であるという行為の中には「愛する心」が含まれる。具体的には「愛」があるからこそ、忠実であることができるのだろう。


離縁について尋ねたファリサイ派の人々に対してイエスは「愛」の視点から答えられた。弱さと限界のある愛の中に生きる人間が天地創造のはじめに与えられた「神の愛」の中にに生きる恵を日々祈り求めたいものだ。


 ”主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
  その人は流れのほとりに植えられた木。
  ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。
  その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。”

          ー詩篇1・2〜3ー

のもとよしこ