海辺にて

今年のお正月、天草方面に行く機会がありました。
昨年の11月に長崎で福者に上げられたペトロ岐部と187殉教者の内の1人、荒川アダムの殉教の場所と聞き、車で海岸線のほとんどを走っていただくことができました。海をすぐ下に見下ろす富岡城跡への、小高い丘を登り始めようとするゆるい坂道に、彼の名前の5文字のみを記す記念碑が立っていました。

1614年の6月5日明け方、アダムはこのあたりで首を切られ、すぐそこの海に重石を付けて沈められたとのことです。
若いころ、犯した過ちのため、処刑されるところをとりなしによってゆるされて以来、教会の受付や聖堂の係、また伝道士として、30年位地道な働きを、この日までひたむきに続けました。

アダムの生き方の中には、罪滅ぼし的な後ろ向き姿勢は感じられません。ゆるされた喜び、新しい生命を受けた感謝がそのまま、教会と周囲の人に尽くす原動力のすべてだったでしょう。

近くにある、天草市立民族資料館の中に、建物を建て直している途中の切支丹館の所蔵品も、所狭しと置かれていましたが、その中の、海辺の岩に刻まれた、20cmくらいの十字架に引きつけられました。満潮の時にはこの岩は海に沈み、干潮の時に信者がひそかに来て祈っただろうとのことです。波しぶきによってか、あるいは祈る人のさする指によってか、その十字のしるしはなめらかになって、色は赤土のような、殉教者の血を思わせるものでした。

アダムとこの岩のかけらと直接の関係があったかはわかりませんが、海辺がすぐそこ、というここ天草で、イエスを神として慕い焦がれ、真心から力づけあう信者達の挨拶やなぐさめの声かけが、波の響きの中に今も残っているはずです。

結城了悟; 『天草の殉教者 アダム荒川』日本26聖人記念館
日本カトリック司教協議会編 『ペトロ岐部と187殉教者』
をごらんください。