徒然なるままに・・・「悪魔のささやき」 と 「イエスの目」


私は一ヶ月に一度、集中講義のため関西の女子大学に行っている。その道中、新幹線の中で肩のこらない本を読んで退屈しのぎをしている。先日は加賀乙彦の「悪魔のささやき」(集英社新書フェア)を読みながら帰京した。まだ全部読み終わったのではないが、現代の世相や社会の動きに関心のある方はぜひ、読むことをお勧めしたい。


この本を手にしたのは本屋に行ったとき、題名に興味を持ったからである。私は使徒職の関係上、人間関係の本や聖書に表わされている人間に関して書かれているものに心が向かう。近頃起こる社会状況や犯罪、出来事など ”こころ痛む” ものが毎日のように報道されている。そのたびに私は ”悪魔のささやき” を意識する。加賀乙彦はその ”悪魔のささやき” を彼の本の中で見事に表現している。彼は「21世紀の日本を蝕む悪魔のささやき― ”人を破滅へと追いやる力―それが悪魔のささやき」という中で以下のことを書いている。


「悪魔に動かされるときの人間の意識を見ていくと、ある共通点に気づかされます。それは慎重によく考えた上での行動ではなく、ふわふわと風のように動いている心の状態であるということ。思索とか理性とか意思とかいったはっきりとした心のありようとは違って言葉ではうまく表現できない、あいまいでぼんやりとした精神状態において、悪魔がささやくという現象が起こりやすいのです。・・・」彼は意識と無意識のはざまにあるふわふわした心の動きに対して警鐘をならしている。ライブドア村上ファンド耐震偽装建築、防衛施設庁談合事件、”小泉劇場”と呼ばれた2005年衆院選での自民党の圧勝、ネットで知り合っただけでの集団自殺、引きこもり、二―トの増加、異様な種々の殺人事件等について ”悪魔のささやき” という視点を切り口に書きすすめている。


現代社会の中で福音宣教の使命を生きようとする私たち自身、この本から「問いかけ」を感じるのは私だけだろうか。悪に目を背けるのではなく、その根を見つめる「主イエスの目」を私はこの本からも見出した。

のもとよしこ