12月の紅葉


庭のもみじの木が紅葉した。12月に紅葉を見るなど日本の季節感とずれている。地球温暖化の結果ということで楽しんでもいられない現実であろう。このもみじの木は10年前に植え替えをしてやっと今年になり本領を発揮して紅葉がまともになってきた。この10年の間、葉がちじんだり、黒ずんだ紅葉だったり、緑そのままであったり、その度に「山もみじだから美しくならないのよ、このようなものでしょう」と諦めらめを含んだもみじの木へのエールを私たちが送っているのをもみじの木は植え替えをした私たちへの勝手さと共に聞いたことだろう。



もみじの木は植えかえと言う家主の介入を受けてから10年かけてじりじりと本来の姿を回復させてきた。この時間を私たちは何気なく気にかけ共にしていた。今年になってもみじの木が本来の紅葉を見せたことを私たちは喜んでいる。もみじの木の生命力を今年は存分に見ている思いがする。何よりも黙々と本来あるいのちを待ち望んでいる時間を目の当たりにした思いでもある。



待降節に庭のもみじの紅葉を見ながら地球温暖化という大きな出来事を乗り越えようとする人間のもがきが忍耐と希望で支えられますように。日々の知恵ある選びに促されじりじりと静かに立ち向かう身を澄ます時間を多忙の中にも楽しむことが出来ますように。待降節のこの期間盲目のダミアン殉教者の言葉「私には夜道がない」の証の言葉がサンタのそりの鈴のように聞こえてくる。



わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして。
見張りが朝を待つにもまして。(詩130:5〜6)



Taeko H