映画

映画の禅(zen)を見ました。最初のスクリーンに映し出された深い山並み雄大な自然は、道元の果てしなき求道の旅へと見ている者を誘います。「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」四季の移りをありのままに歌い、戦乱絶えない鎌倉時代に、人々の苦悩をただ座るのみで受けとめます。ただひたすら座る「只管打座」(しかんたざ)を中心軸とするものです。座ることによる心地開明でありものごとをありのままに観る生き方です。


原作者で製作総指揮者の大谷哲夫氏は道元の到達した世界を人々と共に生きた非言語の世界を透過した「愛語」の世界であり、「愛語」とは慈愛の心から生まれる最悪の言語のない優しく愛しみ深い言葉であると述べておられます。言いかえれば「命ある言葉、生かす言葉」が発される人格でしょうか・・


私は修道生活に入る前に道元が開創した永平寺を数回訪れたことがあります。子供の頃家族と共に何回か訪れたこともあります。学生時代に友人たちと共に宿坊に泊まり、早朝のお祈りに与ったりもしました。今回あまり出てきませんでしたが精進料理の美味しかったことを覚えています。子供の頃は小坊主さんがお手伝いしている姿や雲水さんの闊達な素足の姿を永平寺の境台の大きさと凛とした空気の中で日常を超えた印象となって
残りました。


さて、道元の活躍した13世紀の始めから半ばにかけてフランスでは大聖堂時代です。トマス・アキナスもこの時代の人です。東西あげての傑出した人物を生んだ世紀の奥行きをも垣間見た次第です。


なお道元が中国へ留学したりする場面や中国人の友人であり道元の後を慕って来日し同志として活躍する寂円との会話等に、中国語を語る場面が多くあります。そこに中国との関わりが今日的な新鮮な感じで表現されているのが興味深かったでした。



Taeko H