”み摂理の摂理になる”という喜び

わたしの修道会の創立者「み摂理の マリア」 は神の摂理(=創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配 慮)に特別の信頼を寄せ、摂理と契約を結んでいた。「ウージェ ニー・スメットー福者み摂理のマリアー」の著者、テレーズ・ガルディードゥ・ソースは ”彼女は両親に頼まず、「彼女の摂理」である神に頼み、聴きい れられる” と書いている。み摂理のマリアにとって神の摂理は神の愛のあらわれ、神の現存のしるしであり、人間の思いを超えた配慮だった。


わたしは創立者霊性を受け継ぐ会員として、この摂理を現実の中でますます深く気づくようになってきた。それは実際に苦しみ、困っている人々に神の愛の表現として助けの手が伸べられているのをその人々とのかかわりの中で見出すからである。「祈り、苦しみ、行動する」という会員の働きを通して神が働いて下さるのを知り、会員である喜びを感じている。そして、創立者のように「み摂理の摂理」になりたいというおおそれた思いも深まるのである。


「神が先に愛してくださる。この愛にとらえられ、神の現存を数々のしるしを通して生活の中に認めたみ摂理のマリアは感謝をあらわす望みにかられ、自分の側からも「み摂理の摂理」になるために、神によりいっそう大きな栄光を帰することができるすべてのことに行動的に自分自身をささげる」(会憲2条)


Yoshiko Nomoto